概要
僕は自己肯定感を意識したことがありませんでしたが、
セミさんとの会話をきっかけに考えてみました。
自己肯定感は今の自分をそのまま受け入れること(肯定する)だと思います。
僕は24歳ごろ、育ててくれた祖母が他界したのをきっかけに、
自分の生きる意味みたいな哲学的なようなことを考えていた時期があります。
脇役になるな。自分の人生だ。主役になれ。
的なことも、よく聞いたり、目にしたりしてきましたが。
当時、僕が出した答えは違います。
脇役でいいです。 というより、脇役も主役もないです。
自分の人生でいえば主役です。他人の人生なら脇役です。これを踏まえた脇役でいいです。ってことです。
脇役でいい理由
話を祖母の話に戻します。
祖母が他界するまで、僕は悪い孫でした。
祖母の生前も、もちろん自覚はしていましたが、完全に甘えん坊でしたので、実践できませんでした。
ただ、祖母が他界してから気づくのでは遅すぎます。
当の本人には恩返しできません。
これは僕の考えた都合のいい答えですが、祖母に恩返しはできないけど、
今生きている人には恩返しできると考えました。
人にする恩返しでいえば、他人の人生に登場する脇役になるので、これが脇役でいい理由です。
矛盾
みんなに恩返しをするといっても、全くできていないのが現実です。
在宅になる前は、職場で会う人の手伝いを率先してきたけど・・いまはそれができません。
いまは、僕にも家族ができました。
一人の時の方が、恩返しする意識は強かったと思います。
いまは恩返しよりも、恩を頂いております。
そして、また僕は甘えん坊に戻ってきています。
自分自身で決めたことと、行動が、とても矛盾しています。
もし、祖母が生きているなら、いまも僕は悪い孫だと思います。
今後の課題
セミさんとの会話で、僕が冷静にいられなくなった理由の一つに、
自己肯定感の塊とおもっていたのに、欠如と言われたことかもしれません。
僕は意識はしていませんが、定義を見る限り自己肯定感は強いと思います。
でも、僕のは自己肯定感よりも肯定感のほうです。※妻は除きます。
今あるもの、今もっているもの、今いる人などなど、
すでにある人やモノを大事にできなければ、この先も大事にできないというのが、
僕のモットーです。これは年々強くなっており、範囲も広くなっております。
妻は除きますと書きましたが、妻にだけほとんどできていません。
これが僕の課題だと今はっきりわかりました。